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看護連盟のあゆみ:福井県看護連盟


看護連盟のあゆみ看護連盟のあゆみ

 「看護師不足」「夜勤問題」「保助看法の制定」…。時代時代の看護に関する様々な問題について、看護の質の向上や看護職の待遇改善、看護の発展などを目指し、看護協会と役割を分担し共に取り組んできた看護連盟。看護連盟はこれら目的達成に向けて、看護職代表の議員を国会に送り込んできました。
 ここでは、その歴史と看護系国会議員の足跡を、当時の看護の時代背景と共にご紹介していきます。


看護連盟のあゆみ

出来事 看護系国会議員 解説・時代背景
1946年
(昭和21年)
看護協会設立(保・助・看)          
1947年
(昭和22年)
●第1回(参議院選)
井上なつゑ(初代協会長)当選
井上なつゑ
1948年
(昭和23年)
保助看法の制定
厚生省医務局に看護課新設
1953年
(昭和28年)
●第3回(参議院選)
井上なつゑ 落選
         第3回〜5回までの参議院選挙においては、私たちの代表を国会に送り出すことはできなかった。
 さらに、看護関連議員の長期不在は、せっかく設置された「厚生労働省看護課」が廃止されるという結果まで招いてしまう。今後国会議員を送り込めるかどうかというのが、看護界における重要な課題となっていった。
 日本看護協会総会においても林協会長の落選について議論され、“日本看護協会として、政治活動のできる組織を発足させる必要がある”との意見を採択、「看護連盟」が誕生することとなった。
1956年
(昭和31年)
●第4回(参議院選)
井上なつゑ 落選
厚生省看護課廃止
1959年
(昭和34年)
●第5回(参議院選)
林 塩(協会長・推薦候補・無所属)落選
井上なつゑ(前協会長・無所属)落選
(共倒れとなる)
看護連盟誕生
看護協会の目的を達成するための団体として結成される
1962年
(昭和37年)
●第6回(参議院選)
林 塩(協会長)当選
林 塩
看護師不足が社会問題に
1963年
(昭和38年)
厚生省に看護課復活        昭和38年頃、「2.8闘争」がおきる。
 このころのほとんどの病棟では、準夜・深夜ともに看護師一人で夜勤が行われていたが、これについて「二人以上の看護師で勤務すること」「夜勤回数を月8日以内とすること」などを求め、あちこちの病院でストライキがおきたのである。
 このことは、その後の診療報酬改定、基準看護制度の進歩に繋がった。法律案可決後の南野議員(左から2番目)
社会保険に「基準看護制度創設」
●第7回(参議院選)
石本 茂(看護婦会会長無所属)当選
石本 茂
看護教員養成費の新設
夜間看護手当の支給
人事院判定 複数夜勤月8日以内
1968年
(昭和43年)
●第8回(参議院選)
石本 茂(無所属)落選
林 塩(自民党公認)落選
(共倒れとなる)
         第8回参議員選挙における共倒れにより、“組織選挙”というものに対する協会・連盟の認識不足が露呈、これをを反省するとともに組織の再出発を図ることになる。
厚生省の{高卒+1年}の准看護師養成に関する法案が石本茂氏達の努力により廃案となる          日本看護協会では、『厚生省の“高卒1年養成の准看護婦制度”は、現行の中学校卒2年養成をそのまま残して始める制度であり、“准看養成を複雑にするだけで、真の准看護制度の向上に繋がらない”』と反対し、廃案に導いた。
●石本 茂、自民党入党を看護協会臨時総会で承認          石本 茂参議院議員は、看護関係の諸問題解決のために、当時与党であった「自由民主党」に入党。看護関係の法律制定や改正に取り組み、看護職の働きやすい環境を整えるなど、成果をあげていくことになる。
 これ以降、看護職代表の議員は自由民主党に所属し、多くの看護関係の法案を提出、看護教育・待遇等の改善に努力していった。

 石本議員はこの他、病院保育所設置補助金・産休代替要員・育児休業問題など、看護職員のみでなく女性労働者全体への待遇改善にも力を発揮された。
 また特に看護師の給与の改善の件では、人事院総裁の自宅を再三再四訪問されて、看護職の現状を直接訴えられたとのエピソードも。これは後の講演会で本人がよく話されていたことである。保健婦助産婦看護婦法制定30周年記念式典昭和53年度「保健婦助産婦看護師協会通常総会」において『保健婦助産婦看護婦法制定30周年記念式典』が行われた。
1971年
(昭和46年)
●第9回(参議院選)
石本 茂(自民党公認)当選
石本 茂
保助看法の一部改正
看護人を看護士と改称
ナースバンクの設置
1975年
(昭和50年)
育児休業法・専修学校法成立
1977年
(昭和52年)
●第11回(参議院選)
石本 茂(自民党公認)当選
夜勤看護師車送りの予算化
国立看護研究センター設立
保健師の増員
1980年
(昭和55年)
●第12回(参議院選)
寺沼幸子 落選
1983年
(昭和58年)
比例代表制導入拘束名簿式
●第13回(参議院選)
石本 茂(自民党公認比例第13位)当選
1986年
(昭和61年)
●第14回(参議院選)
清水嘉与子(自民党公認比例第23位)落選
1989年7月
(平成元年)
●第15回(参議院選)
清水嘉与子(自民党公認比例第1位)当選
清水嘉与子  
●石本 茂、21年間の任期を終え引退
「当面の看護師不足に対する緊急対策」提言
「看護の日」制定
1990年12月
(平成2年)
看護手当のアップ
3,200円に増額
1991年12月
(平成3年)
国家公務員看護部長7級新設国会で代表質問をする清水嘉与子議員国会で代表質問をする清水嘉与子議員
1992年
(平成4年)
●第16回(参議院選)
南野知恵子(自民党公認比例第16位) 当選
南野知恵子
「看護師等人材確保法」施行(12月)       「看護師等人材確保法」施行は、看護職の給料・男性保健師等の誕生など、その後の看護職の環境に好影響をもたらした。
1993年
(平成5年)
男性保健士の誕生(11月)
1995年
(平成7年)
●第17回(参議院選)
清水嘉与子(自民党公認比例第7位)当選
看護師国家試験合格発表(H9年より3月に)
 国家公務員新卒看護師の昇給月(7月→4月)
 が決定
(3月)
         このころまで、看護師国家試験の合格発表は“6月”に行われていたが、平成9年より“3月”に発表されるようになった。
 これにより、国家試験の合格発表があるまでは「看護師見習い」として扱われていたものが、就職と同時に「看護師」として扱われることになった。
「高齢社会対策基本法案」成立(11月)
1996年
(平成8年)
●小選挙区中国ブロック比例代表並立制
●第41回(衆議院選)
能勢和子(自民党公認中国ブロック比例区第1位)当選
能勢和子
労働安全衛生法一部改正
「産業保健師」誕生(1月)
●厚生省の外郭団体に看護職ポスト創設(1月)
1998年
(平成10年)
●第18回(参議院選)
南野知恵子(自民党公認 比例第7位)当選
法律案可決後の南野議員(左から2番目)第18回参議院選 選挙集会(南野知恵子氏)
学校教育法改正
看護専修学校卒業者に大学編入への道開かれる(6月)
1999年
(平成11年)
男女共同参画基本法成立(6月)
2001年
(平成13年)
非拘束名簿式  
DV防止法成立(4月)法律案可決後の南野議員(左から2番目)法律案可決後の南野議員(左から2番目)
保助看法一部改正
看護職の名称「師」で統一(12月)
         保助看法の一部改正により、それまで専門職といわれる職業で唯一、男性女性で別であった看護職の名称を、「保健師」「助産師」「看護師」および「准看護師」へと、ようやく改めることができた。
2003年
(平成15年)
性同一性障害特例法成立(7月)          このころ、参議院では清水嘉与子・南野知恵子議員、衆議院では能勢和子・阿部俊子議員が活躍、強力な布陣により、看護職の待遇の改善・診療報酬改定においての基準看護加算の大幅アップや夜間勤務加算等、看護関係の改定が着実に進められていく。
 教育面では看護大学の新設や短大の四年制大学化が進み、他にも、院内保育などの保育対策・ナースバンクの設置・老人訪問看護ステーションの設置等々、私たちを取り巻く環境・看護関連において、この近年で大きな進展を遂げてきている。
中央社会保険医療協議会に初めて看護職専門委員就任(12月)
●第43回(衆議院選)
能勢和子(自民党公認中国ブロック比例区第4位)当選
能勢和子
2004年
(平成16年)
●第20回(参議院選)
南野知恵子(自民党公認比例第14位/15人)当選
2005年
(平成17年)
●第44回(衆議院選)
阿部俊子(自民党公認 中国ブロック比例区第1位)当選
阿部俊子  
2006年
(平成18年)
診療報酬改定 入院基本料7:1創設(4月)
2007年
(平成19年)
●第21回(参議院選)
松原まなみ(自民党公認比例第18位/14人)落選
 
●清水嘉与子、18年間の議員生活を終えて引退
2009年
(平成21年)
●第45回(衆議院選)
阿部俊子(自民党公認 中国ブロック比例区第1位)当選
改正保健師助産師看護師法、改正看護師等人材確保法成立(7月)
2010年
(平成22年)
●第22回(参議院選)
高階恵美子(自民党公認 比例第4位/12人)当選
高階恵美子  
●南野知恵子、18年間の任期を終え引退南野先生記念講演南野先生記念講演「18年間の議員生活を終えて」          平成19年に清水嘉与子先生、22年に南野知恵子先生が参議院議員として18年間の任期を終えて引退された。
 この間保助看法一部改正(看護職の名称「師」で統一をはじめ、看護職に関する多くの問題に取り組んでいただいた。

 南野知恵子先生には、平成23年6月「18年間の議員生活を終えて」と題して記念講演をしていただいた。

 清水嘉代子先生・南野知恵子先生が引退された後、高階恵美子先生が後を引き継いで参議院議員として活動されている。
2011年
(平成23年)
●3月11日14時46分
東日本大震災発生
         東日本大震災発生の折には、看護協会・看護連盟から、被災された方々への支援物資等が届けられた。
2012年
(平成24年)
●衆議院解散(野田内閣)          平成21年9月16日の政権交代(民主党・国民新党・社民党による)を経て、平成24年の参議院選挙で自民党は第1党となり再び政権交代となる。
●第46回衆議院選挙 阿部俊子 当選
●阿部俊子 外務大臣政務官就任(12月)
2013年
(平成25年)
●第23回(参議院選)
石田昌宏(自民党公認 比例区)当選看護職代表 石田昌宏氏当選(得票数 201,109票 自民党比例11位)
  石田昌宏      平成25年7月に実施された、第23回参議院議員選挙において、看護職代表として出馬された石田昌宏氏が見事当選を果たした。
第23回参議院選 選挙集会第23回参議院選 選挙集会  石田氏は、日本看護協会では政策企画室長、日本看護連盟では幹事長を務めた経験から、看護の問題等を熟知しており、今後の活躍が期待される。
2014年
(平成26年)
●第47回(衆議院選)
 ○阿部俊子 当選(農林水産副大臣)
 ○木村弥生(自民党公認 比例区)当選
      木村弥生  高階恵美子議員への応援ビデオメッセージ作成に青年部委員が活躍した。12施設を回った。 8月30日青年部研修会で講演「若者の力が政治を変える」8月30日青年部研修会で講演「若者の力が政治を変える」
2016年
(平成28年)
●第24回(参議院選)
高階恵美子(自民党公認、比例第11位/17位)当選
        看護の固い結束で再選の栄誉を勝ち取った高階議員。しかし生涯現役の会員さん(計約900歳)からは、『次回は上位当選を!』とのご指導を受けた選挙戦でした。
2017年
(平成29年)
●第48回(衆議院選)
阿部俊子(自民党推薦 5期目)当選
        小選挙区岡山三区、無所属(自民党推薦)で出馬し当選。
「“いのち・くらし・いちばん”をスローガンに看護のために精一杯働きます。」
●第48回(衆議院選)
木村弥生(自民党公認 2期目)当選
        前回の総選挙では、比例北関東ブロックから立候補し当選した木村議員。選挙区を京都3区に移し、知名度も低いなか出馬。近畿ブロックで復活当選を果たした。 選挙応援に駆けつけた石田昌広参議院議員
2019年
(令和元年)
●第25回(参議院選)
石田昌宏(自民党公認、2期目)当選 189,983票を獲得し、自民党比例代表、医療系候補者の中でトップ当選を果たしました。
        8月から日本看護連盟会長に大島敏子氏が就任しました。 8月から日本看護連盟会長に就任した大島敏子氏

 現在、石田昌宏参議院議員・高階恵美子参議院議員・阿部俊子衆議院議員・木村弥生衆議院議員が、私たちの代表として活躍しています。
 未来の看護の更なる発展を願って、看護職の代表を国会に途切れることなく送り続けるため、看護連盟は活動して参ります。
 看護職の皆さん、自分自身の未来のために連盟に入会して、共に明日の看護の発展を築いていきましょう!