福井県看護連盟 福井県看護連盟サイトトップページへ
福井県看護連盟

保健師の役割の変遷:連盟ふくい座談会:福井県看護連盟


連盟ふくい座談会:保健師の役割の変遷福井県看護連盟座談会 保健師の役割の変遷

保健師が積極的に関わることで、困難な状況も少しずつ良い方向へ。

司会

最近は県や市町村の保健師も、保健所のほかにいろいろな分野で活動するようになりましたが、そういう状況の中で苦労されたことや充実を感じたこと、日頃感じていることなどをお話いただければと思います。

惣宇利

分野が増えてきたという点では、昭和40年くらいから保健所は精神病に力を入れるようになってきました。

ライシャワー夫妻

39年に起きた「ライシャワー事件」によって、精神衛生法が40年に改正されたんです。
アメリカのライシャワー日本大使の刺傷事件が起きて、刺した人が精神障害者でした。そういう方を野放しにしていたことが問題になり、精神衛生法が改正されて、保健所の精神衛生相談員が在宅精神患者を訪問、指導するようになりました。

精神衛生相談や精神障害者の訪問、デイケアや職業事業支援など、精神障害者が普通の人と一緒に生活できる仕組みを保健所が作っていこう、ということになったんですが、それまで精神障害者に対して保健所は何も対応していなかったわけですから、まずは保健師が精神衛生相談員の資格を取るための研修を受けなければいけませんでした。

司会

何人ぐらいの保健師さんが研修を受けられたんですか?

惣宇利

第1回の研修では全国で60人くらいで、私もその中に入っていました。その後の約10年間で、県内の保健師は皆その資格を取って精神障害者に対応していました。

でも最初は、精神障害者は結核と同じく遺伝病であり、治療法がないから治らないという考えがありましたから、そういう方を一人前に自立させるためにはどのように支援したらいいのかが問題でした。

精神病予防等の保健師活動

40年頃に向精神薬という薬が出始めて、それを飲めば症状が改善されるということで、国は通院患者に1/2公費負担をし、精神衛生患者がその薬で治療できるような態勢を作ろうとしていました。
そして、障害者を野放しにするのではなく、地域で訪問指導、健康相談、デイケアなど、いろいろな作業や話し合いを行える「集まる場」を保健所に作って、そういう方が地域になじめるように自立させようという制度が生まれました。

司会

デイケア精神で何か苦労されたことはありますか。

惣宇利

最初はどう対応したらいいのか全く分かりませんでした。
話すことが得意ではない人たちを皆がいる場に出させるにはどうすればいいのか、どういう信頼関係を持てばいいのかという点が一番難しかったと思います。

共同作業所「あけぼのの家」(大野市)

例えば、ある障害者が壁に頭をぶつけたり、異常な行動をしている時、自分も障害者の気持ちになり、話を聞いてあげたりする中で、信頼関係が生まれて自然に話せるようになってきたこともあります。

57年には、県の予算で障害者が自立できるような共同作業所を保健所単位で持つことになり、地域の方とも話し合って場所を提供していただきました。精神障害者の家族会と一緒に作業を行ったり、デイケアに参加してもらったり、地域の精神科医師にも協力していただきました。

司会

なるほど、精神障害への対応は、今もそうですが当時も本当に難しい状況だったんですね。
永田さんの場合はいかがですか?

永田

私も保健所に10年いましたが、精神保健法が出た昭和40年頃は積極的に訪問活動をし、医師連絡をしながらデイケアに来る患者を増やしていきました。

デイケアだけではなく、自立して働くことに結び付けなければいけないので、仕事探しのためにいろいろな企業も回りました。企業側のご意見を聞かせていただき、本人を連れて頭を下げながら仕事が得られるよう努力しました。
仕事に結びついたケースも何人かあって、その時は何とも言えない気持でしたね。とにかく、相手の企業のご苦労を聞かせてもらいながらも、本人の気持ちになって仕事を探さなくてはならないので大変難しさを感じましたね。

惣宇利
福井健康保健センターでは、昭和63年に地域精神保健福祉業務連絡会を設置。第58回保健文化賞を受賞した。

精神障害の方は入退院の繰り返しが非常に多く、その繰り返しの中で成長しているという状況でした。デイケアに来られるようになってから入退院の繰り返しがなくなったという方も増えてきました。

ですから私たちが関わることによって、精神障害の方も少しずつ良くなっているのだなという自信がついてきました。まず、関わることが大事ですね。