福井県看護連盟 福井県看護連盟サイトトップページへ
福井県看護連盟

連盟創設の頃の看護の状況:福井県看護連盟


連盟ふくい座談会:連盟創設の頃の看護の状況福井県看護連盟座談会 連盟創設の頃の看護の状況



看護師の評価や環境・教育面の充実。変わってきたのは、公での議員の活躍があったから。

司会

連盟の話が出ましので、岸本さんからも連盟の話を聞かせていただけますか?

岸本

はい。私は林塩先生の2番目の選挙のときから関わっていましたが、連盟ができて一番良かったのは、私がいた市に看護学院ができる時に、医師会の理事長さんたちが「今度、清水先生が研修会の講師として福井にいらっしゃるので、学院の生徒達のことでちょっとお願いしたいことやお聞きしたいことがあって…」ということで協会にいらっしゃったんですね。それで私は『あぁ、看護婦に頼みにいらっしゃるのね』と思い、気を良くした覚えがあります。

その頃までは、医師連盟と看護連盟が対立していたので、どの病院へ行っても先生の目を盗んでは選挙のお願いをしてましたけれど、清水先生のおかげで「お互いに頑張りましょうね」と言えるようになり、次の選挙から気持ちが楽になりました。

司会

多くの議員を看護連盟から送り出してきましたけれども、議員さんが活躍してくださった中で、私たちの労働環境について最も良かったということは何でしょう?

岸本

そうですね、看護職の社会的な地位が昔よりも上がってきましたね。
昔は看護師というものは、「あら、看護婦さんなの…」と語尾が下がったものですが、今は「看護師さんですか!」と語尾が上がるようになりました。

久島
1960年代の深夜病棟勤務風景。未熟児室で掃除機をかける看護師。“この業務も看護の仕事?”と疑問を抱かせる1コマ。
[ 写真 :「日本の看護120年」(日本看護協会出版会) p35-6-C ]

そうそう。「看護婦です」というと、「なんで看護婦なんかになったの?」って言われましたものね。
女学校を卒業してお嫁に行っても「なんで看護婦なんか嫁にもらったんだ」とずっと言われていました。

だから、それだけ良くなったということは、当時の看護連盟が頑張ったから今があるということですよね。

司会
食事の盛り付けに忙しい看護師。1950年代当時は看護業務の一環であった。
[ 写真 :「日本の看護120年」(日本看護協会出版会) p17-15 ]

なるほど、評価が変わってきたということですね。
では、看護師の労働環境についてはいかがでしょうか?

吉田
病院内の保育所開所式
[ 写真 :「日本の看護120年」(日本看護協会出版会) p31-3 ]

労働環境は基準看護によってすごく整えられてきたように思います。
今は就職難で、看護学校に入りたいという人もいるようですが、労働環境が整うことによって看護職が望まれるようになってきたのだと思います。

私が独身だった頃は、労働環境がどうのこうの、看護がどうのこうのなんて考えすらありませんでしたが、40代50代になってようやく一人一人の疲労度などが考えられるようになってきました。
でもその頃すでに、私のいた病院では師長が『看護婦の疲労度』という研究発表をしています。それはすごく進んだことですし、そういうことによって労働環境が改善されてきていると思います。

夜勤2人制や2.8闘争などを通して労働環境が整えられ、公に改善されてきたのは、連盟の力であり、法律を動かした力であり、労働環境にしても教育に関しても、議員となられた石本先生から始まっているように思います。

司会

そうですね。それに教育的な面でも議員さんの力というのは大きく、看護師のための教育に功績があると思いますが、いかがでしょうか?

青木

私は若い頃、2つの病院の開業の時に勤務していましたが、当時はほとんどが准看(※)さんで、中学校を卒業して看護学校に2年入られた人が間に合ったという時代でした。

組織的にも准看さんをそのまま置いておくのではなくて、正看(※)になりたいという人には夜間の学校に行かせてましたね。夜間の学校に行って苦労してきてもらったほうが、結果的にやはり働き方が違うというか、考え方が変わったりして、「ああ、これが教育かな」と思うようになりました。

10年ほど前から吉田さんに月1回ずつ来ていただいて、看護師全員を対象として教育していただきました。

※准看・正看
「看護師」とは国家試験等に合格し看護師免許を有する者をいうが、これに対し、都道府県知事試験の場合は、「准看護師(准看)」の免許が交付される。准看護師制度は、戦後の看護師不足に対応するための暫定措置によるのもの。正看とは、この“准看護師”に対する“看護師”の俗称(「正看護師」の略)である。
司会

以前から教育は現場で行われていたと思うのですが、今では施設内で教育を体系化してプログラムがきちんと作られている状況ですよね?

青木
“高階先生は3回も病院に講演に来てくださいました”

そうですね。今は政治と力を合わせて教育することで、現状の病院が成り立っているのではないかと思います。

私は教育というものが政治と関わっているということを、昭和50年頃まで全く知りませんでした。51年に協会に入り、その頃から「教育は必要なものだな」と考えるようになりました。
それまでは、職場の中で教育すればそれでいいと思っていて、看護協会や政治についての教育というものが全く分かっていなかったんです。

それ以降、立候補する先生には、病院に来ていただいて皆に顔を見てもらった後、「ああこの人だ」という感じで選挙に行ってもらうという形を取ってきました。高階先生のときは3回も病院に講演に来てくださいました。

司会

岸本さんは個人病院でしたから、外に出て教育を受けるという機会が少なかったのではないかと思いますが、いかがでしたか?

岸本

県の研修にはスタッフをよく出していました。

選挙になると「名簿を出しなさい」というノルマがあるんですが、看護師たちは師長さんに「私たちに何のメリットがあるんですか?」と聞くんです。
「人事院勧告で上がっても下がってもあんまり関係ないけれど、2~3年後には、私達のところも人事院勧告にならって上がってくるから、いずれ良くなるからね」と言ってました。
何年か経って「近づいてきたでしょう?」と言ってみると、「そうですね、お休みのこととか、何についてもやはり協会や連盟があってこそ、そういう風になってきたのでは…」みたいに話していました。

病院では2人で当直ということもありますし、2交替の看護もしていましたけれど、そんな時でもきちんと必要な看護師が採用できましたし、これもやはり連盟のおかげだと思っています。