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連盟創設の頃の看護の状況:福井県看護連盟


連盟ふくい座談会:連盟創設の頃の看護の状況福井県看護連盟座談会 連盟創設の頃の看護の状況



司会

当時の看護の技術や、患者に対してのサービス、身のまわりのお世話という側面については、どうお考えですか、青木さん?

青木
青木秀子さん
看護師として勤務は55年に及ぶ。現在も地域の病院の看護管理者として勤務し、後輩の育成に力を注いでいる。
長年看護の仕事を継続してこれたのとは、健康に恵まれたことと家族に支えられたことに尽きると感謝の心を忘れない。「自分たちで掲げた倫理を守り笑顔と信頼」をモットーとしている。

看護の技術は進歩したと思います。サービスに関しては、患者さんに対して「何とかして助けよう」という気持ちは強かったですね。

以前は身のまわりのことは家族の方がお世話していました。看護も、家族と看護婦とで行っていました 。
サービスという言葉自体考えず、その人を助けようという思いしかなかったです。病める方がいたら、家族、医師、看護師、誰もが手を差し伸べていた時代でしたね。

司会

吉田さんの場合はいかがでしたか?

吉田
吉田君子さん
基幹病院に約40年間勤務。看護部の教育面では、いち早く院内教育に段階別にプログラムを立て、就職1年目から5年間の間に、臨床の看護師としての基礎を学ばせ看護師の質の向上に努めた。また一方で看護師の24時間の業務内容の分析等を行った。
一貫して看護業務の改善に尽力し、スタッフがベッドサイドにおいて、患者さんと直接接する時間を多くとれるようにすることをモットーとしていた。

私の勤めていた病院では、計画性のある上司の方々がいたので、サービス的な面が行き届いていましたし、直接看護が整っていたと思います。

主任、副主任、師長クラスは研修で管理組織・管理などについて勉強してくるので、いろいろなことが知識として入ってきますが、実際に働いている私たちはと言いますと、50ほどの病棟に主任を含めて7人の勤務、三交替で深夜が4日、準夜が1週間です。

病院に行くと、50人の患者さんのカルテ・記録を準夜で引き継ぎ、異常がないカルテにはその旨を書いて、要観察の患者さんだけカルテを別にします。

深夜勤務では朝の早出までに50人全部の患者さんの検温と脈をとらなければなりません。そして注射器の消毒。針は一回ずつ変えられなかったので、針の先が綺麗に尖っているかどうか全部見なければいけないんです。

青木
ディスポーザブルBOX (バイオハザード)
現在、注射針といえばディスポーザブル、いわゆる使い捨てが常識だが、かつては消毒しての再利用が当たり前。針が刺しにくくなってくると研ぎ石で研ぐのだが、これもまた看護師の仕事であった。

尖ってない時は、研ぎ石で研がなくてはいけなかったしね。
それに検尿から何から、全部でしたでしょう?

吉田
器具の整備
[ 写真 :「日本の看護120年」(日本看護協会出版会) p107-11 ]

そうなんです。そして鑷子も全部煮沸消毒して、洗面もして、それだけ全部やろうと思うと、本当に走って動かなければいけないくらいでした。

当時勤めていた病院の看護科は、いろんな組織や管理等がものすごく整備されていたのですが、実際にそれが伴っているかというと、そうではありませんでした。
研修でいろいろな業務や組織等を頭につめこんで帰ってきて、きちんと計画してそれを行っても、実践面ではついてこないことがあります。

だから、恐らく日本看護協会は全国のいろいろな情報を集めて、それに対して制度が絡んだ結果、作られるべくして作られた組織が連盟なんじゃないかと思います。