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夜勤体制の変化:福井県看護連盟


連盟ふくい座談会:夜勤体制の変化福井県看護連盟座談会 夜勤体制の変化

時代の流れとともに少しずつ変化してきた「夜勤体制」。
人数や勤務時間など様々な面で今よりも厳しい状況にあったかつての看護師に、一体どのような苦労があったのでしょうか? また、今後さらにより良い看護界を築き上げていくためには、どのような働きかけが必要なのでしょうか?

たった1人の夜勤も当たり前。命を預かる仕事だから、不安もしばしば…

司会

皆さんが以前“夜勤”をしていた当時は、今とは全く違う状況であったと思いますが、当時ご苦労されたことなどをいろいろお聞かせください。

山田

私がいた療養所では、昭和34年当時は軽症、重症、手術病棟などに分かれていて、日勤は3〜4人いましたけれども、夜勤はたった1人でした。卒業してすぐの時でしたけど、1人でしたね。準夜勤(※)を1週間、深夜勤(※)を1週間ということもありました。

でも、若かったので体力的にはあまり問題なかったです。夜勤が終わった後、遊びに行くこともありましたから。

※準夜勤・深夜勤
3交替制の勤務形態の場合、1日24時間は「日勤」「準夜勤」「深夜勤」の3つの時間帯に分かれる。
例えば、日勤は8:30~17:15、準夜勤は16:30~1:15、深夜勤は0:30~9:15となっていたりする。
司会

たった1人ですか!?
療養所ですから、入院患者さんも何人かいらっしゃったのではないんですか?

山田
山田ハマ子さん山田ハマ子さん
療養所・総合病院等いくつかの病院を経験。病院ではICU・CCU等外科系の看護管理に当たる。
「看護を受ける患者様がどんな気持ちでいるかを常に心掛けること」をモットーとしていたが、患者様の思いをくみ取ることは簡単ではないとも感じていた。病棟管理においては、働きやすい環境づくりを心掛けた。

ええ、軽症ですと60床くらいあったと思います。

夜勤の時には、夜眠れないとか、気分が悪くなったから何か薬をほしいという方もいました。
こういう症状の時はこういう薬を出す、という約束処方がありまして、たいていの場合、症状にあったのをお出ししていました。

1人夜勤が辛いといっても、生活に影響はなかったですし、ある程度夜勤があるということは分かっていましたからね。

司会

なるほど、分かりました。畑中さんはどうでしたか?

畑中
畠中美智子さん畑中美智子さん
37年間のキャリアを持つベテラン看護師。現在看護副部長として看護管理に当たっている。
病院の理念である「患者さんの立場で考える」をモットーとして職務に当たっている。

私が大学病院に就職した頃は2.8闘争(※)があり、看護師は夜勤は8回まで、そして2人夜勤でなければいけない時代で、大学病院でも2人夜勤にしていましたが、三交代は当たり前でした。

日勤した後に深夜勤、準夜勤して日勤ということもあり、結構休みの間隔が少ない状況でしたけど、当時は自分自身も家庭を持っていなかったので、あまり実感なく「当たり前」と受け止めて、それほど大変という思いはありませんでした。

でも今現在、家庭を持つ身で当時を振り返りますと、看護師さんを続けていくにはやはり大変だったろうなと思います。

※2.8闘争
激務を極めていた看護労働者の夜間勤務に対する基準要求で,「2.8」とは「複数人(2人以上)での勤務、1人月8回以内」を意味している。昭和38年の新潟県病院労組の夜勤制限を求めた看護婦達によるストライキ「新潟の2.8闘争」から始まった。結果、法的拘束力はないが夜勤労働の改善目標となる「夜勤については2人1組で,月8日以内」との人事院判定が出されることとなった。
司会

助産師さんの場合は1人夜勤ということはないと思いますが、どうでしたか?、宮永さん。

宮永
昭和50年頃の託児室

1人というのはなかったですね。
私が就職した昭和44年は、助産師1人と看護師1人の2人夜勤でした。病床数は30ぐらい。夜中の分娩も結構多い時代で、時には新生児を12〜15人お預かりすることもありました。
夜勤回数については、就職した当初は当直制で、日勤をして夜中泊まり、分娩があったら起きるという体制でした。

1年ほどしてから2.8闘争があり、2人夜勤が制度的になって、産科病棟でも夜勤が2人になり、その後3人になりました。産科は分娩があると、ぐっと忙しさが増えますから、そういう時に集中して仕事ができるという点では、人数は多い方がいいんです。
闘争時の先輩方のおかげで、早い時期から2人ないし3人での複数夜勤がきちんと組める体制になったので、非常に仕事がやりやすかったと思います。

司会

複数夜勤とはいえ、何かご苦労なこともあったのではないですか?

宮永
宮永輝美さん宮永輝美さん
基幹病院の産科病棟に助産師として勤務。退職前の5年間は看護専門学校に勤務し、学生の育成に当たる。
看護職として「不安や悲しみ等、心理面へのサポート」および「患者さんの安全・安楽」をモットーとしてきた。現在「女性の健康相談」に当たっている。

苦労という点では、最初のうちは技術も不慣れで、妊婦さんの励まし方や検査のことなどは先輩方に直接指導を受けながら仕事をやらなければいけない状況だったので、かなり努力をしました。
ある程度経験を積むことで、夜勤の仕事もスムーズにこなせるようになったと思います。

司会

なるほど。でも、私たちの仕事は人の生命に関わることですから、夜勤人数の多少にかかわらず、「早く朝にならないかな」と夜勤中に不安を感じたりすることもありますよね?

宇随
宇随芳子さん宇随芳子さん
地域の病院に50年余勤務し、地域住民との和・絆を大切にしてきた。現在も地域医療を応援していきたいと同病院にパートとして半日勤務している。現在、福井県看護連盟の幹事長。

それは、夜勤をしている時にはしょっちゅうでしたね。何が降って湧いてくるか分からない勤務ですから。

私は結婚して福井へ帰ってきてからは朝8時半に日勤で出てきて、あくる日の5時、もしくは残業、という体制を組んで仕事していたので、結構夜勤時間が長かったです。それまでの10年間くらいは三交代でしたから、福井に来た当初はなんとも言えない状態でした。
以前は点滴にしろ何にしろ、注射は全部インターンの先生が打って、自分では打ったことがなかったんです。検温と看護日誌、患者さんのケアをしていたんですが、ケアといっても当時は患者さんの身体を拭いたりするのは付き添いの家族がしていました。

そんな勤務でしたから、福井に帰ってきた途端にそういう夜勤になって、本当に面食らいました。3日に1回の夜勤でしたので、かなり家族には迷惑をかけましたね。休みなんて、1ヶ月に1回あったかないかでした。